7月17日『降りてゆく生き方』ワールドカフェに向けて

昨晩の『闇の子供たち』を事前に観た上で
プレイバックシアターをやった後に、ワールドカフェをするという手法の振り返りをしておきたい

私が到達したかったのは、
プレイバックシアターや演劇によって
頭で「知っている」から、心で「理解しいている」のレベルへの深化

そして、ワールドカフェでの対話を通じて、自分の中でイメージが湧いてくる
できれば、それが共有されたイメージとして

そのイメージが、もはや現実との区別がつかないくらいはっきりと絵になってくると
何かをせずにはいられないという気持が高まってくる

そこで、具体的な行動、しかも、誰でもすぐにできるような小さな一歩を踏み出す
行動したということがフィードバックされて、更に次の行動を呼び起こす・・・


今回は、時間の都合で対話を2回で終わらざるをえなかった
どれくらいイメージが湧いただろうか・・・

17日は、映画を観るが2時間あるので、身体表現+対話に割ける時間は1時間くらいだろう


対話は最低20分は必要そうだ。1時間半は欲しいな
今回は、映画という多義的な媒体だけに、身体表現を入れることは有効なのではないかと思う


何とか、身体表現と対話が自然と移行してゆくようにできないだろか



6月16日(火)に再度、挑戦の機会がある
少しでも意見を集めて次につなげてきたい




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コメント(2)

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大前です

>心で「理解しいている」のレベルへの深化

にいたるためには、その人の中に類似の体験、もしくはメディアを通しての疑似体験がある必要があるのではないかと思っています。

さらに、自分で演じてみることに加えて、自分の話したことをプレイバックを通して外在化してみることで、感じたことから気づきを得て、行動につながるのではないか?と思いました。

小グループ内で一人の人が感じたことを他の人が演じるということをできたら、それが可能になるのでしょうか?

19日の場合は、プレイバックをしてもらえた人の方が気づきが大きかったのでは。よって、次の行動につながりやすいのでは、と私は感じましたが、いかがでしょうか。

意味が違ってしまうのかもしれませんが、いったん自分に取り入れたものをあらためて外在化することで、本当に自分ごとに考えられるような気がしています。

こうやって自分の意見を書いてみると、他の方の意見がとても気になりますね(笑)

演じても、演じてもらっても、それぞれに効果があると思います。今回はできませんでしたが、小チームの中で順番に演じてゆくのが、これまた良いです

プレイバックとはちょっと違うのですが、人は自分の人生を生きているようで、どこか「役割」を演じているにすぎないという気がしてくるのです

会社員の役、上司の役、部下の役、主婦の役、恋人の役、母の役、子の役・・・それぞれに、こうやらなければならないという役に対するステレオタイプがあって、それを一所懸命演じようとしている自分がいることに

そして、他者の役を演じることで、役の解釈は人によって違うということがわかってきて、いろんな役を自在に演じられるようになるとで自由になる

この辺が『人生ドラマ』とつながってくる。だから、ナラティブ(物語)セラピーが成立しうるのだと思いますよ

観る人、演る人と分離するのではなく、両方が良いのだと思います

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このページは、鈴木利和が2009年5月20日 23:09に書いたブログ記事です。

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