ワールドカフェの最近のブログ記事
ブレイクダウンして、「自分が共感できるところ」を探すというプロセスは
とってもとっても大事なことだと思います。
ブレイクダウンせずにこのテーマに取り組もうと思ったら
宮崎あおいさん演じる音羽さんみたいに、現場に乗り込む以外の方法が見えなかったりしますからね。
でも、日本人である自分にできることって絶対たくさんあるんです!
知ってしまったらもうほっとけません。
そもそも、この事実を知らないことは罪だと思います。
「無知は罪である」 by 高校の世界史の素敵なみどり先生
これが書かれたのは、かなり前なので、このときからは、さらに掘り下げがなされているのだと思う
確かに、知れば何かをせざるをえなくなる
だから、みんな知らないフリをしたいのだと思う
その気持ちをどう乗り越えてゆけるか、一人ひとりが自分の弱さやずるさとどう向き合えるかが重要なところ
映画では、貧民街の住人たちに根気よく語りかけ、集会に動員してゆくプロセスが省かれています。政治に巻き込まれたくないという感覚は日本の活動家も同じなのだと思います。ただ、他者と協力して環境を変えてゆくというのはどうしても政治的な動きになってしまうのですよね
私は、最後のパレードをつぶそうとした既得権者の動きとこれで民主化は10年は遅れる・・・という嘆きを描写して欲しかったなと思います。日本にも安保闘争の時代がありました。ただ、権力者との闘争のはずの共産主義が結局は新しい権力闘争にすぎなかったという幻滅のために、日本人はすっかり政治と距離をおくようになりました
結果、残ったのはアメリカ金融資本主義への追随と拝金主義でした。今回話される必要があるのは、共産主義や新自由主義に代わる新しい社会ビジョンなのだと思います。社会起業家はその代替案のひとつなのでしょう。そこには、対話が必要だと思います
こういった類の映画を他人事としてではなく、自分事としてみるのは非常に重いことだということを改めて実感。
今回は、チャリティというような手を伸ばせる場所があるからまだ救えるが、これをヒトゴトとして済まさざるを得ないという人がいるのもまたしょうがないと思ってしまう自分がいます。
確かに、そういう視点もあるかな
ただ、そういう場に参加することと自分で創り出すというのは、似て非なるところだろ思います
映像+本から情報に加えて、演じて(体で表現して)みたうえで、ワールドカフェで語り合うことによって、自分ごととしてみる度合いがどれくらい深まるのか聞いてみたいところです
ありえないをありえるに
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