2008年1月アーカイブ
専門知識や正確な情報がなくても適切な判断をすることができる
言われてみれば、経験的にそうなのです
大学を卒業して以来、「全員がリーダーの創造的な組織」をどうやったらつくれるかを志向してきましたが、人を動かす対話の魔術によって、一つブレークスルーしたかもしれません。この本は、2001年にコーチングについての勉強の一環として購入したものでしが、ながらく、本棚に埋もれていました
「ダイアローグ」の読書会の副読本くらいのつもりでしたが、自分の中でつながりました。
2006年に話題になった「みんなの意見」は案外正しいの集合知であるところの「断片的な情報」から正しい判断が導き出されるという主旨にもつながる話で、ということは、田坂さんの「これから何が起こるのか」や梅田さんの「ウェブ進化論」にもつながる「革命」につらなるわけですね
専門知識をもたない市民が正しい判断をできうるの
共通の目的を持った人々が対話をすれば、各参加者は自分の視点からだけ考えていたのでは不可能だった深みにまで達することができる。
対話は、人生の目標と価値について、参加者の間に共通の見解を形成
~中略~
話をするときによくある、「私はこう思うのだが・・・
しかし、いったん対話が始まって、みんなが影響しあって自分の見解
「私が思うこと」は他人の見解の寄せ集め以上の何かになるのだ。
さまざまな見解と経験によって検証され、問題が明らかになる」 ダニエル・ヤンケロビッチ
12章 判断を向上させる対話 218p
「ダイアローグ」の読書会をいたしました
この読書会というのは、CTIというコーチの養成機関の卒業生のコミュニティである「コーアクティブネットワーク」の活動の一環として、代表の島村さんと取り組んできたものです
そのタイトルが「出現する未来」、「シンクロニシティ 」、「ワールド・カフェ」「ダイアローグ」・・・と
ダイアローグ関係の本だったことを今さらながら発見しました
そして、偶然にも「世界に向けて、日本人として何か貢献できることがあるんじゃないか?」 という問いのもとにリーダーシップ開発に興味がある人の場になっていました
世論調査に40年取り組んできたDaniel Yankelovichは「人を動かす対話の魔術」において、政府と自由市場経済と市民社会のバランスを回復するために、対話の重要性を訴えています
自由市場経済の象徴である企業は機能的で、機械のようなもので、「風の谷のナウシカ」の「巨神兵」のようにすべてを破壊しつくしてしまうまで止まらない
政府と市民社会と調整や抑制がなければ、野放図に膨張してしまい、利己的な側面が目立つ社会になってしまうのでしょう
市民社会の側面が歴史的にない日本において、政府が調整役をになってきたわけですが、和田中学の「夜スペ」のように市民社会がしっかり均衡する力を持つためにも、コーアクティブコーチングや対話の輪を広げてゆくことは重要なことではないかと思います
そういう意味で、銀座コミュニティカレッジで対話を扱うことは必然だったのですね
これまでの取り組みは
第1回 ソーシャル・キャピタルとは何か
第2回 場の力 事例:再春館製薬所・黒川温泉
第3回 仮想世界ゲーム 協力はどのようにしておきるか?
第4回 ワールドカフェ 対話とみんなの思いの出現
それぞれ、思っていることを出し合って、銀座のソーシャル・キャピタルを豊かにするゲームをつくることにいたしました
銀座みつばちプロジェクトのように、具体的に問題解決をしているNPOに学びながら、メッセージとモデルをつくりこんで、ゲームを通じて伝えつつ、人と人のつながりをつくってゆければと考えています
地域のソーシャル・キャピタルづくりの上で課題を発見するために、ワールドカフェや対話に取り組んでゆくことから始める予定です(いままでやってきたことを活かして)
以前、区議からいただいた、中央区の課題を踏まえながら、銀座の関係者をご紹介いただいて対話を重ねコンセプトをつくってゆきましょう
仮想世界ゲームは、複数回参加することができないところが、もったいないと思っています。自分の考えや判断が状況や役割に影響されていることを学ぶところは、残しつつ、役割を変え、違う立場で何度も参加できるようにして
自分の暗黙の前提や価値観、常識と向き合いつつ、他者を理解するために耳を傾け、相手の立場に立ち思いや情報を共有し、相互理解を深めてゆく媒介にできればと思います
2月24日(日)に、新関さんと仮想世界ゲームをやりますので、前回の参加者で 事務局をしつつ集団の変化を観察してみたいという方、前回参加できなかった方は、ぜひこの機会に、プレイヤーとしてご参加ください
まずは、銀座の状況の観察・インタビューからです
その本質は「機会に強みを発揮する」ことであり、そのための手段として「フィードバック分析」だと言ってもいいのではないだろうか。Druckerが提唱した本来のMBO((Management By Objectives And Self-Control)はフィードバック分析抜きには機能しない
フィードバック分析というと何だが難しいなという感じがするかもしれませんが、実は、誰もが初めての時にやっていることです
初めてのことで、結果の見当がつかない時に、まず「こうじゃないか」という予測をもとに、まず、やってみて、結果を見て「近くなった」「遠くなった」とやり方を修正することを繰り返して「こうやれば、こうなる」というちょうどいい加減を見つけます
車の運転や人との付き合い方など、「できるようになった」ことの多くはこうやって習得したものだと思います
簡単に予測できることを超えて、わけがわからないことに取り組むときには、このフィードバック分析(目標設定-検証)を意図的に実行することが有効です。たとえば、商品やサービスをつくってゆこうとすると、「結果の見当のつかない」ことだらけです。そんな時、試行錯誤しながらやればできるという経験と自信があると未知のものに出会っても、取り組むことができます
もちろん、それを誰かに教えてもらうという選択肢もあります
手っ取り早い一方で、いくつかデメリットがあります
1.改善し続けることが難しい
2.依存して、自分で考えなくなる
3.大事にしないということです
1.改善し続けることが難しい
自分で苦労して一からつくったものは、すべて、なぜそうしているのかがわかっているものなので、改善をし続けることができます
改善し続けることで、ものすごいノウハウになる可能性があります。卓越しない限り、たいした貢献はできません
教えてもらったものは、他人にメンテナンスしてもらうしかありませ
2.依存して、自分で考えなくなる
自分でつくりだすということは、仕事における大きな楽しみです。それが、充実感や自信の源で、与えられることに慣れてしまうと仕事を楽しむことができません
仕事は生活のために給料を稼ぐだけではなく、楽しみの側面もありますよね
3.大事にしない
子供が欲しいものを手に入れる時のことを考えるとわかりやすいかもしれません
欲しくて欲しくてたまらないものを苦労の末に手に入れたら、しっかり手入れをして、大切に扱います
一方で、ちょっとお願いして手に入れたものは、ぞんざいに扱いすぐに壊したり、使わなくなったりします
それは、価値の問題というより、思い入れの問題です
今の世の中は、すぐに手に入る解決策にあふれています。しかし、簡単に手に入ったのでは、創意工夫も愛着もわきません
組織の全員が、新しい「結果」を手に入れたいと思い、試行錯誤を繰り返すことが、どうなるか分からない「未来」をつくってゆくことになると思います
毎日、目標を立て、振り返るということ(フィードバック分析)を通じて、自分たちで「未来」をつくってゆきましょう
「情熱を注ぐ対象」を見つける方法の精緻化、場づくり
現在の社会の問題の核心は「情熱を注ぐ対象」がないという
ことの結果である「無意味感」だと考えています
現代社会が、わずか、1~2世代前と決定的に違ってしまった
要因は情報の増加と生産性の向上により、選択肢が増えた
ことにある(もちろん、それだけではないですが)
わずか1世代前は、戦争があり、食べるものも満足にはなく、
情熱を注ぐ対象は大前提として、「国を守ること、食べること」で
一致していた
ところが、おそらくここ10~20年ほどで、突然、選択の自由が
出現してしまった
しかし、有史来、自分の情熱を注ぐ対象を決めることができたのは
ごくごく、限られた人だけで多くの人の権利でも義務でもなかった
方法的にも、思想的にも極めて未整備な状態です
今まで選択できなくても存在はしていた「情熱を注ぐ対象」
その空白が「無意味感」なのではないか
この根源的な「自由」を活かせるのに活かせないことにより、
情熱をもって取り組んでいる人を妬んだり、劣等感を感じ、
無視したり、足を引っ張ったり、妨害をしたりしている
その空白を埋めるために、わかりやすい「金」という本来は手段に
過ぎないのに「貯めておける」「交換性が高い」という利便性ゆえに
あるいは、地位や権力、外的評価など・・・
年末のローマ帝国の特集はご覧になられましたでしょうか
ローマは、なぜ1000年以上の繁栄を謳歌することができたのか、
なぜ、滅びたのか?
その答えは「寛容」でした
その象徴はカエサルの
何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自分の考えに
忠実に生きることである。だから他の人もそうあって当然と思ってい
という考え方です。
この「寛容」ゆえに多様な価値観をそのまま受け入れ、奴隷でもあっても
努力をして貢献することによって「市民」になることができた。その流動性
ゆえに活力のある社会となって繁栄し
カラカラ帝が属州民もすべてローマ市民にしてしまうことによって
ことが失われ、結果として階級が固定して社会の活力を奪いローマは滅びた
つまり、奴隷であれ、貢献しだいで自由を認めるという「寛容」がローマを
ということです
それを今の日本にあてはめるとどうでしょうか
「自分の考えに忠実」というのは、
Jobsのスタンフォードでのスピーチの"follow your heart"を思い起こさせ
ます
その忠実である対象である「自分の考え」の核心が
なのではないかと考えます。
ちょっと、飛躍しているかもしれませんが、「情熱を注ぐ対象
のは、新しい「市民」の資格なのではないか
努力して「情熱を注ぐ対象」を見つける
それぞれの「情熱を注ぐ対象」を認め合い尊重しあう
「情熱を注ぐ対象」によって交流しあい、支援しあう・・・
「情熱を注ぐ対象」が明確であれば、やることやらないことの基準となり、
シンプルにな生き方になり、時間の余裕もお金の余裕もできる
時間と情熱を集中的に注ぐことにより、卓越した存在となり、満足感も
周囲への貢献度も高くなる
同じく、卓越を目指す人たちと厳しいけれども温かい場があり
キャピタルじゃない?)ともに競争し、協力しあうことによって充実
まさに、臨終というときを迎えても、わが人生はすばらしかったとみ
いてくれてありがとう
となるのではないかと
ただ、その「情熱を注ぐ対象」が見つけることが難しい
方法も定かではないし、それがいつ見つかるかもわからない
仮に見つかったとしても、確信に変わるまで継続できない
他の人もないみたいだし、ある人は特別な人だよと自分をなっとくさせて、あきらめている
別に、卓越しなくても良い
そこそこで良い
それゆえに、方法・場が必要ではないかと考え
今年の目標といたしました
そして、一つのモデルとしてJobsが1985年に30歳でアップルを追われ、1997年にアップルにカムバックするまでの12年間に何があったのかを考えようとした 。そこで、あらためてJobsの2005年のStanford でのスピーチを再確認してみる
ここには、Jobsの行動指針が凝縮されている。原文および訳は山口さんのものがわかりやすいです
Dots 何が幸いするかは後からわかる。先読みして、要不要を判断するより、どうせやるなら全力をつくし、経験したことがやがてつながると信じることで、たとえそれが皆の通る道からはずれても、自分の心に従うことができる
Love and Lose アップルを追い出されたことはつらかったけれども、自分の過ちに気づくために必要な機会だった。自分が情熱を傾ける対象があったからこそ、つらい経験も乗り越えることができた。対象が見つかっていない人は、見つける努力を続けよう。立ち止まっていてはいけない
Death 明日死ぬとわかっても、やり続けることをする。周囲の期待に応えようとしない。自分の心の声に従う
Jobsのすごさは、誰もが知っていてもやっていないことをやり続けているところにある。どんなに周囲との摩擦を起こしても、うまくいく保障がなくとも、その成功がいつになるとしても実行する。その原点は17歳の時から始めた「明日死ぬとしてもそれをするか?」という問いである。そう問い続けて3年後にウォズとコンピュータにのめりこむ。凡庸であることに我慢ができず、最高を求めてきた。ただ、30歳の時には、ないものねだりと現実的であることの区別がつかず、暴君になってしまった
「凡庸で良いじゃないですか」という意見が説得力を持つのは、自分が本当に卓越せずにはいられない情熱を傾ける対象を見つけていないだけのこと。情熱を傾けるものをなんとしても見つけるという勤勉さがないだけなのだと
そこで、あらためてリクルートのことを思い起こします
リクルートは、対象は何かはわからないけれども、卓越したいという思いをもった人たちの集団でした
リクルートの仕事が良かったのは、ほとんどすべての仕事にアプローチすることができたこと。
しかも、飛び込みという形で、自分が見たい聞きたいと思ったところにはどこにでも行けて、話を聴くことができた
しかも、広告という仕事だからこそ、その仕事の本質と求められる強みを知らなければならない。仕事を楽しんでいる人、成果をあげている人の話を聴いて、その仕事を楽しむ可能性がある人が何が知りたいかを想像して引き出し、表現し、数週間後にはその結果を知ることができた
大切なことは、ものごとの本質を知ること、相手の立場に立つこと、表現して検証することだった。
広告という仮説を検証することを繰り返すうちに、何に自分が情熱を感じるのかがわかるようになってくる
「情熱を注ぐ対象」が明確になれば、周囲への影響を発揮し始める。そして、ここがそれにふさわしい場所ではないことがわかれば、そのところを得ることは自らの責任であると考える。自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよとリクルートは、卓越を目指すこと、情熱を注ぐ対象を探すことは当然のことになっている場だった
この当たり前だけれども実践を続けることが難しいことを仕事として求められる場をつくることが一つの処方となりうる
1月28日(月)19時から
場所は、同じく東京21cクラブの予定です
今回の読書会もワールドカフェ形式でやります
12名くらいの小規模で、20分ずつの4セッション
全体共有なしでやってみようと思います
思い思いに語る意識の奥底にある何かを引き出してみたいので
読書会はここのところ「シンクロニシティ
学習する組織に隣接する概念に集合知があります。私たち一人ひとりは、自我を持ち、自分で考え、判断をしているつもりです。一方で集合的な意識もあって、人間の脳も含めて「考えている」と思っている主体は、神経細胞が複雑に連結された集合であるように、一人ひとりが密接に連携しているとまるで一人の生命体のように意思をもっているかのようです
組織に風土・文化というものが確かに存在しているけれども、一人ひとりの人間を見れば、どこにも存在していない。人と人の関係のなかで何となく存在している。細胞の一つひとつを見ると個人差はほとんどないけれども、その集合である一人の人間は、皆違っている。ほとんど違いのない細胞がつながり方の違いで性格や意識に差異が生まれている
神経系のように、情報がどのように流れるかが意識だとしたら、組織においては発話やフィードバックの活性度が意識だということになる。組織の構成員となったときに、私は果たして私なのだろうか?
自分のなかに意識の葛藤がある際には、細胞単位では賛成派と反対派が存在しているのだろうか?ダイアローグでは、私とあなたが語り合っているつもりなのだが、果たして別々の存在なのか、それとも・・・ コーチとクライアントはお互いの意識の垣根を低くして共にいてわかちあうことによって英知を獲得しているわけです。人は何かを成し遂げるとき、自分を超えたより大きな何かとの存在との一体感を感じます。その経験は一体何なのか?自分という存在は何なのか?
もし、私が何かの一部ならば、誰かと争ったり、うらやんだり、ねたんだりする必要はないはずなのに そんなことを語り合ってみたいと思います
2年間、試行錯誤してたどり着いたのは、第5水準のリーダー輩出に貢献しようということでした
第5水準のリーダーというのは、「ビジョナリーカンパニー2」に登場する考えです
第4水準のリーダー=カリスマ・エリートから
第5水準のリーダー=周囲の可能性を引き出し、成果を出させる人へと
飛躍をする環境づくりに貢献したいという考えです
アップルを追放された1985年(30歳)のタイミングのJobsは、スカリーをして「放漫で、暴虐で、激しく、無い物ねだりの完全主義者だ。彼はまた、未成熟で、かよわく、感じやすく、傷つきやすくもある。そして精力的で、構想力があり、カリスマ的で、さらにおおむねは強情で、譲らず、まったく我慢のならない男だ 」と言わしめる、およそ友人にはなりたくない人物だった
それから、1997年に暫定CEOとして、カムバックするまでの間に、何が起きたのだろうか
スティーブ・ジョブズ-偶像復活やスティーブ・ジョブズの再臨を読んだ時に思ったのですが、Jobsはピクサーでの経験を通じて、特に、ディズニーに君臨するアイズナーの前半の成功と後半の愚行を見るにつけて、人として(経営者)として大切なことは何かを学んだのではないでしょうか
かつての、自分はアイズナーのように、振舞っていたかもしれない・・・。だから、アップルを追われることになり、私生活もうまくいかなかった・・・
Jobsというと交渉術やプレゼンのうまさに目が行き、カリスマとしての側面が目立ちますが
おそらく、クリエイティブディレクターとしての本質は、ピクサーでJohn A. LasseterとED Catmull との仕事を通じて、体得したのではないかと思います
アニメというまったく、畑違いの領域でも、才能ある人たちの能力を引き出し、世に出すために奮闘するというプロセスを通じて・・・。1995年のトイ・ス トーリーの成功以降、1998年バグズ・ライフ、1999年のトイ・ストーリー2あたりは、ディズニーとの交渉に明け暮れて、アップルのCEOへの復活は 2000年まで待たなければなりませんでした
とはいえ、このプロセスを通じて、彼のユーザーの立場に立って、つくり手に妥協のない要求をする力に磨きがかかったのではないかと想像されます
私 の仮説では、第4水準のリーダーから、第5水準のリーダーへと飛躍する鍵は「他者に貢献すること」「他者の視点から自分を見つめること」を学ぶことだと考 えています。そういう意味で、Jobsの本質を研究することは、多くの才能ある人たちが独善に陥ることなく、真にクリエイティブであるために大切なことを 学ぶ最高の機会だと思われます
私自身、人生の折り返しを過ぎて何に情熱を傾けることができるのかを冷静に見つめて、やはり、ここに 戻ってくることを再確認しました。James Collinsの言うように、今年で軌道に乗ることはないと思いますが、一歩一歩弾み車を回してゆく1年にしたいと考えております よろしくお願いいたし ます
