鎮守の森

宮脇さんの鎮守の森を読んだ

私として心に残ったことは2つある
一つは
新しい時代は、企業によってつくられる
石橋を叩いて渡る式の従来の行政システムはいつも後追いである


もう一つは
「最高条件」と「最適条件」
という話。つまり、持てる力を発揮するためには、競争、共生、我慢が必要ということ

多くの成功者が、成功ゆえになんでも手に入るようになることによって、我慢を忘れ滅びてゆく
それは、自然の摂理なのだ

宮脇さんの「鎮守の森」のコンセプトにいち早く反応したのは、新日鉄ホンダイオンといった企業であって、行政ではなかった。行政を動かすのは大変だけれど、企業であれば、心ある人が数名いれば実現することができる。企業が実績をあげて、国が後押しをするというのが良さそうだ


「最高条件」と「最適条件」
植物が長く行き続けられる生態学的な条件とは、生理的な欲求がすべて満たされない、少し厳しい、少し我慢を強要される状態

これが一番健全な状態で、最適条件といいます

それに対し、生理的な欲求をすべて満たしてしまう最高条件の状態では、生命は長持ちしない


満ち足りることが、滅びにつながるというのは、自然の巧妙なメカニズムだ。持続を願うのであれば、意図的に何かをあきらめて、足りない状況をつくる必要がある  ということだ


ところで、「鎮守の森」というのは、神社の周りの森を指しているわけではない。その土地本来の植生を指している。その土地にあった種であれば、特別に手をかけなくてもたくましく育つのだ。それを日本人は

尾根筋や急斜面、水源地、あるいは岩場や海沿いに突き出した岬、内湾などの深い森に寺や神社をつくり、また祠や地蔵さんを建てて、宗教的な祟り意識によってこのような土地本来の森を残し、木を守ってきた

生物的な多様性を維持するために、我々の祖先が知ってか知らずか何百年来、村や町づくりに必ず残し、守り、つくってきたふるさとの木



多様性というのは、単に種類が多ければ良いのではなく、その土地にあったものである必要がある。外来種をきれいだから役に立つからという理由で、植えてもずっと手をかけなければ、すぐに死に絶えてしまうのだ


宮脇先生は、短期的な効率や経済的なメリットを追うことによって、結局、長期的な利益を見失ってしまっている状況を憂いてこうも書かれている


目に見えるもの、金で換算できるもの、数字や図表で表現できるもの以外はすべて切り捨ててきた一見進歩的な対応が、自然と共生してきた鎮守の森を破壊するだけでなく、心の荒廃の原点となっているのではないか

我々は、見えるものだけを見て進歩していると思ってきた生き方から、もう一度見えないものを見る努力をすべきなのではないか

そして、未知の要因に対してのある種の畏敬、敬虔をもって、トータルシステムとしての自然現象、環境問題、命と心の問題、社会現象、教育、文化、芸術、政治、子育て、すべてを見直して、21世紀、22世紀を確実に生き延びていくべきではないか


まさしく、その通りだと思う

宮脇さんの講演会が9月10日の18時半から
台東区立生涯学習センター・ミレニアムホールであるらしい
講演会「下町にいのちの森を」




毎日新聞のマイマイクラブ掲載の宮脇式の植樹法

NPO学校の森も宮脇先生の考え方を採用していたな

~森好き*旅好き*ランダムノート~の学校の森

エスペックミック社の事例
愛知県長久手町 南部地区新設小学校 学校の森植樹祭

私も植樹祭に参加してみたいと思う

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鎮守の森は以下のブログから参照されています。

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このページは、鈴木利和が2008年8月17日 19:37に書いたブログ記事です。

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